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東京地方裁判所 平成10年(レ)378号 判決 1999年5月18日

控訴人

株式会社A

右代表者代表取締役

山本敏江

被控訴人

吉田真人

右訴訟代理人弁護士

松田弘

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  申立て

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  被控訴人は、控訴人に対し、六〇万四〇〇〇円及びこれに対する平成九年九月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

5  仮執行宣言

二  被控訴人

主文同旨。

第二  事案の概要

本訴は、被控訴人が、宅地建物取引業者である控訴人との間の専任媒介契約に基づき、同人から仲介を受けて締結した別紙物件目録記載の借地権付建物の売買契約における停止条件が成就しなかったため、同契約の効力が発生しなかったと主張して、主位的に、右専任媒介契約に基づく返還請求として、仲介手数料(報酬金)の内金として支払った五〇万円及び返還期日の翌日である平成九年一一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、予備的に、不当利得に基づく返還請求として、右既払の仲介手数料相当額五〇万円及びこれに対する右停止条件の不成就が確定した日の翌日である平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による法定利息の支払を求めたものである。

反訴は、控訴人が、被控訴人に対し、同人が右売買の停止条件の成就を故意に妨害したもので、右停止条件は成就したものとみなされると主張して、専任媒介契約に基づく仲介手数料の残金六〇万四〇〇〇円及びこれに対する催告の日である平成九年九月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めたものである。

一  争いのない事実

1  控訴人は、不動産の仲介等を業とする会社である。

2  被控訴人は、平成九年七月頃、控訴人との間で、仲介物件の売買代金の三パーセント相当額に金六万円を加算した額を仲介手数料とする約定で、土地建物の売買の媒介を依頼する旨の専任媒介契約を締結した。

3  被控訴人と同人の父親である訴外吉田岩雄(以下「岩雄」という。)は、共同で、平成九年八月三一日、控訴人の仲介により、訴外西一郎(以下「本件売主」という。)との間で、同年一〇月三一日までに、地主である訴外足立亘(以下「本件地主」という。)から借地権の譲渡につき書面による承諾が得られることを停止条件として、別紙物件目録記載の借地権付建物を代金三四八〇万円で買い受ける旨の売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結し、右当日、被控訴人は、本件売主に対し、手付金二〇〇万円を支払った。

4  被控訴人は、右同日、控訴人に対し、本件売買契約の効力が発生しなかったときは、返還するとの約定の下で、右仲介手数料の内金として五〇万円を支払った。

5  被控訴人は、本件地主に対し、借地権の譲渡に対する書面による承諾について、実印の押捺と印鑑証明書の添付を要求したが、本件地主はこれを拒絶したため、本件売買契約の効力は発生しなかった(そのため、手付金二〇〇万円は、本件売主から被控訴人に対して返還されている。)。

二  争点

被控訴人が故意に停止条件の成就を妨害したか。

1  控訴人の主張

本件売買契約においては、借地権の譲渡に対する本件地主の承諾については、単に書面によることのみが合意されており、本件地主も、承諾書に署名捺印すること自体は了承していた。しかし、被控訴人は、本件売買代金の準備ができず、本件売買契約を破棄するため、新たに当該書面に実印の押捺と印鑑証明書の添付という不当な要求を付加したため、本件地主がこれを拒絶し、本件売買契約の効力が発生しなかったものである。

平成九年一〇月末日の時点で、本件地主作成の借地権の譲渡に対する承諾書は事実上得られていたのであるから、被控訴人が右のような要求をしたことは、故意に停止条件の成就を妨害したことに当たり、停止条件は成就したものとみなされる。

2  被控訴人の主張

借地権付建物の売買という高額な取引において、借地権の譲渡に対する地主の承諾書に実印の押捺を要求し、また、その実印の真正を確認するため、印鑑証明書の添付を求めるのは、不動産取引実務上当然のことである。被控訴人が、本件売買契約の停止条件である借地権の譲渡に対する書面による承諾について、本件地主の実印の押捺と印鑑証明書の添付を要求したことは何ら不当なことではない。したがって、被控訴人の要求を本件地主が拒んだため、本件売買契約の効力が発生しなかったとしても、被控訴人に責められるべき点はなく、被控訴人が故意に停止条件の成就を妨害したものともいえない。

第三  争点に対する判断

一  本件借地権付建物の売買契約の効力が発生しなかったのは、借地権の譲渡に対する地主の書面による承諾について、被控訴人が本件地主の実印の押捺と印鑑証明書の添付を要求し、本件地主がこれを拒絶したためであることは、当事者間に争いがない。

ところで、被控訴人が故意に停止条件成就を妨害したため、本件売買契約の効力が発生しないことになった場合には、被控訴人は、控訴人に対して仲介手数料の内金五〇万円の返還請求権を待たず、仲介手数料の残金を支払わなければならないのに対して、そうでない場合には、本件売買契約の停止条件が成就していないのであるから、控訴人は、被控訴人に対して、仲介手数料請求権を持つことはない。そこで、以下では、被控訴人が故意に停止条件の成就を妨害したと認められるか否か、すなわち、被控訴人の前記要求が正当なものであるか否かについて、検討することとする。

二1  甲一によれば、本件売買契約の締結に際して取り交わされた契約書には、停止条件として借地権譲渡につき書面による承諾が必要である旨記載されているだけであり、右書面にどのような印鑑が押捺されるべきか等については、明示的に定められてはいない。

2 一般に、不動産は、動産等に比較して高額である上、不動産登記手続を行う必要もあり、売買当事者の意思の確実性を明確にする趣旨で、不動産売買の必要書類に実印の押捺、印鑑証明書を添付する取引慣行が存在することは、裁判所に顕著な事実である。

ところで、借地権付建物の売買においては、買主(借地権の譲受人)にとっては、地主(賃貸人)により借地権の譲渡に対する承諾が正式に得られる否かは、建物の存続を図り、その売買の目的を達するために極めて重大な問題である上、地主の側に相続が発生する等の事由により、賃貸人の変更が生じたような場合に、借地権譲渡について、真実承諾が得られていたかが将来問題となる事態は十分予想されるところである。したがって、買主(借地権の譲受人)が、承諾の確実性の担保及び将来の紛争を回避するために、単に書面による承諾を得るだけでなく、地主(賃貸人)の実印の押捺及び実印の真正を確認するための印鑑証明書の添付を要求することは、理由のあるところであるといわなければならない。すなわち、本件売買契約書の文言との関係では、売買当事者の意思としては、同契約書前文における「書面による地主の承諾」にいう「書面」とは、地主(賃貸人)により実印が押捺され、印鑑証明書が添付されたところの、借地権の譲渡を承諾する旨の意思が明示された書面を意味するものと解釈するのが相当である。

したがって、被控訴人が、本件売買契約における停止条件としての書面による承諾に、本件地主による実印の押捺及び印鑑証明書の添付を求めたことは、本件契約の約定の内容を求めたものにほかならず、当然のことであって、何ら不当とみるべきものではない。

3  この点、控訴人は、印鑑証明書及び実印が持つ重要性に鑑みると、印鑑証明書の提出を要求できるのは、不動産登記申請の場合など法律上定められた場合に限定され、実印の押捺も、役所や金融機関など信用できる機関に提出すべき書面に限定される等の主張をするが、いずれも控訴人独自の見解に基づく主張であって、採用することはできない。

さらに、控訴人は、不動産取引において契約書等に実印の押捺が要求される一場合として、本人の確認が必要な場合があること自体を認めつつ、本件においては、事前に控訴人、被控訴人、本件地主、本件売主らが、本件地主の自宅において一堂に会しており、本件地主の本人確認はなされているから、実印の押捺等に固執する必要はない旨主張するが、実印の押捺等を求めるのは、前記のとおり、承諾の確実性を担保するとともに、将来の紛争を回避するためでもあるから、将来的に賃貸人の変更等があり得る以上、控訴人の主張を前提としたとしても、実印の押捺を要求することは正当であるというべきである。

4  また、乙八によれば、本件地主は、従前から、他の土地賃貸借契約において、銀行の認め印を使用していたことがうかがわれるが、かかる事実を前提としても、偶々、本件地主が不動産取引慣行に照らすといささか異例なことを常に行ってきていたというだけにすぎず、何ら前記認定を左右するものではない。

5 以上によれば、被控訴人が、本件借地権付建物の購入にあたり、停止条件である地主の書面による承諾について、実印の押捺と印鑑証明書の添付を要求したことは、本件契約の約旨にかなった正当なことであり、停止条件を故意に妨害したものということはできない。

三  結論

以上によれば、被控訴人の本訴請求は理由があり、控訴人の反訴請求には理由がないから、本訴請求を認容し、反訴請求を棄却した原判決は正当である。よって、本件控訴は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤新太郎 裁判官 片山憲一 裁判官 日暮直子)

別紙物件目録<省略>

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